鹤见俊辅1922年出生於日本
东京,家世显赫,父亲
鹤见佑辅及外祖父後藤新平,皆是日本政界的中坚。十五岁时他前往
美国留学,十六岁时由亚瑟·史列辛格(小亚瑟·史列辛格之父)推荐进入
哈佛大学哲学系就读,1942年毕业,是
蒯因的第一批学生之一。留美期间因为
无政府主义的倾向,遭到
联邦调查局逮捕,於拘留所内完成毕业论文。
1946年起与鹤见俊辅与姊姊鹤见和子、
政治学家丸山真男等人组成「思想之科学研究会」(思想の科学研究会),并主导杂志《思想之科学》(思想の科学)的发行,该杂志在二战後批判日本人的思维方式,对日本影响深远。同时亦积极参与社会活动,
60年代参与日本国内反越战运动、
90年代参加
慰安妇求偿运动、
2004年9月与
大江健三郎等人参加九条会(九条の会)的发起工作。
父は前述の通り政治家
鹤见祐辅であり、戦间期の日本を代表する亲ソ派政治家だった後藤新平は母方の祖父、政治家安场保和は曾祖父にあたる。社会学者である
上智大学名誉教授の鹤见和子は姉。鹤见直辅は弟。英文学者・翻訳家の横山贞子は妻。息子の鹤见太郎は早稲田大学文学部准教授。
『ナマコの眼』等で知られる人类学者でベ平连の「外务省」、「英语使い」と呼ばれる有力活动家だった鹤见良行は父方の従弟。狱中転向で有名な元
日本共产党委员长の
佐野学は母方の叔父。共产党系演剧人でインターナショナル訳词者の佐野硕と、武装共产党时代の党指导者だった佐野博は母方の従兄。讲座派の法学者で日本平和委员会会长だった平野义太郎は母方の亲戚(安场保和の孙娘の婿)。